ちょうど降り出した雨を凌ぐ傘のように、そんな素晴らしいタイミングでから傘の家を訪れた。家に上がってまず思ったことは、寒い。家に上がったのに寒いというのは、とても日本的だと思った。冬、帰宅と同時に、寒い寒いと手を擦りながら石油ストーブのスイッチを押す。4分から5分後、ジーーッボゥッという音と共に暖かい風が吹いてくる。空になったタンクに石油を誰が入れに行くのか押し付けあったのを覚えている。大抵は母が行くのだけれど。
外の世界とは障子で隔てられ、光だけが室内に降り注ぐ。壁や床は綺麗に磨かれているものの、当時の生活を、これまでの時間の流れを受け入れ、傷や生活の跡は残されていた。
じっくりと部屋を見ていると、急に部屋が明るくなる。確認せずともわかるくらいに、きっと外は雨が止んで太陽が出てきたんだろう。窓枠から落ちる光が障子によって拡散される。部屋がぐっと広くなった気がした。
大きな幾何学的なかたちをもった傘は、窓からはいる光を溢れかえらないように蓋をしているようだった。
広間からはかさがほとんど視野の中に入ることや傘の骨にあたる梁と壁の関係や、寝室から広間に突き出した鴨居を梁と繋ぐボルトは屋根が傘のように軽やかなイメージを植え付ける。
古い民家がもつ<土間>の意味をこの広間の空間にあたえようというのはテーマのひとつでもあった。…私はこのもっとも原則的な平面構成を意識しながら、少量だが明確な光とふかぶかと濃いかげの組立てる空間、それは古い民家の土間にあったもの、をつくってみたいと考えた。
(篠原一男「から傘の家」『新建築』1962年10月号)
人間の所作に付随して空間に意味が与えられるような、その段差1段が、その扉の開け方が、空間を規定する。空間の意味とはなんぞやと思いながらも深く頷ける、建築のというより空間の意味みたいなこともしっかりと考えないといけない。
これほどまでに力強く、優しいとは思いもしなかった。異国の地で日本の小さな建築が海外の大きな建築に囲まれて凛々しく建つ姿は誇らしく、それを実現させた人たちの気概や熱を本人の口から聞きながら訪れることができて本当に良かった。今までで1番贅沢な雨宿りだった。
から傘の家,Vitra Campus_篠原一男(1961)
Reconstructed_DEHLI GROLIMUND(2022)