なんとなく良いを語る#04

Vororscäuser,Zürich_Sergison Bates architects

並んだ2棟の集合住宅は丘裾に位置し、北側に大きな戸建て住宅が並び南側にも丘が見える。ちょうど丘と丘の谷がSeebachの駅になっている。南側には建物を遮るものは何もなく、丘の高低差を活かした計画になっている。南側のコーナーは大きなインナーバルコニーが設けられている。(Sergisonのテキストにはロッジアと記述されている)

ソファーやテーブルを並べて置ける程度には広いロッジアは、各住戸によって見えてくる生活の様子が異なって見ていて楽しい。前回の集合住宅とも共通するインナーバルコニーはその多くがサンシェードを備えていて、住人が外部との隔離を強調あるいは緩和することができる。あくまで内部の拡張というイメージが強い。加えて、前回と似たような平面計画は表面積を増やすことによって外部との関係を各住戸がそれぞれ持つことを可能にしている。この多角形平面は、EMIの集合住宅然り、Zürichではよく見かける。州が出版している集合住宅の平面図を取り上げた本(設計資料集的な本)では2010年以降から多角形の平面が頻繁に見られるようになっていて、Zürichではもう一般的なのか?

Sergisonらしい縦長の窓はレンガの壁をパカッと割ったように造られ、その間に挟まったプレキャストの窓台が特徴的だった。窓は外壁面からオフセットされ内壁に沿って設られている。これによって外部との距離をしっかりと感じるようになっている。懐が深いことによって暗くなる窓にはゴールドのサッシが使われ、手すりもゴールドで仕上げられていることでファサードを構成する開口部としてしっかり強調されている。

ファサードの操作はその他にも、0F部分の外壁のレンガは一列ごとに1センチ出っ張ることで同じ素材を使っているのにも関わらず、斜めから見るとその部分だけが濃く見える。

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この0Fの壁面の色が濃く見えることや入り口のプレキャストの柱、軒はファサードの重心を地面に近づけ、感覚的に安定したモノリシックなイメージを与える。シェルターとしての安心感がある。この入り口の柱が良かった。これもまた少しだけ出っ張っていて軒とは同質でないこと、関係として存在していることを強調するディテール。日本人ならというか自分なら細くしていた気がする。この大地との接続の考え方は如何にもヨーロッパという感じ。この柱はカッコいい。

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これは重心だけに限った話ではなく、Märkliの学校を訪れた時にも感じたモノとモノの関係性、アニメティがオブジェクトとしてコラージュされているように窓、手すり、窓台、雨樋そして地面によるファサードという平面においてのコンポジションが見ていて気持ちがいい。写真によって切り取られた平面のモノの関係性が絶妙でこの辺りのセンスが段違いに良いと感じた。

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ロッジアが全体の計画として重要なことは理解しつつも、開口部と異なってオフセットされたプレキャストのスラブや強調された角の通し柱、平面的に一つの室としてその他と等価であることによって支配的になっていないことが良かった。良い場所を造りながら、それが細やかでただそこにあるという気持ちよさが良い。設計者のいやらしさを感じない自由な場所、という感じ。

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良かった‼︎