10分歩けず、1時間電車に乗る大人たち
3月に大学院を卒業して、バタバタと新生活が始まった。卒業したものの4月頭に論文の提出があり、それまで先生とのエスキスは続いていたので提出後初めて卒業を実感した。久しぶりに何かに追われていない状態が嬉しくもあり、少し落ち着かない。論文の話は追々また書きたいと思う。
新居は水辺に近くて、桜が綺麗な場所に構えた。今の時期は、週末になると多くの人で賑わう。
自転車通勤がしたかったのだけれど、自然が多い方がいいと思い、片道15分程度の電車通勤になった。満員電車も数回乗ると何となくコツを掴んでくる。初日は、15分ですら辛かったけれど時間帯、ポジショニング、降車準備で満員電車における殆どのストレスを回避できることに気がついた。むしろ1年半の阪急での通学のほうが辛かったように感じる。
物件を決める時になるべく駅から近い方がいいですと伝えると駅から徒歩で5-10分の物件を紹介された。もう少し範囲を広げますかと聞かれたので20-30分ぐらいかなと思っていると「17分もかかってしまうんですけど、、」と紹介された。17分"も"?十分近い。15分を超えると東京人は遠いと感じるらしい。30分は流石に、と思っていたのに肩透かしを喰らった。駅が多すぎて都内で駅から徒歩30分は、違う駅に近づいてしまうのだろうか。コンクリートジャングルトーキョーで、便利さを追求した結果生活にゆとりがなくなることをそのたった5分10分の徒歩で避けられると思うと案外東京とも上手く付き合っていけそうな気がする。
そんなこんなで生活も事務所も居心地がよく楽しく毎日働いている。事務所が引っ越したこともあり、先輩は、いわゆる駅チカに引っ越したらしく、駅まで17分ですと伝えると雨の日とか結構大変だねと言われた。その人は駅まで徒歩5分で電車に1時間乗るらしい。
ps.大人より、子供の関東弁がきもい。たまに文章も書いていきたいと思います。ぼちぼち頑張ります。
読み書き
最近は、論文を書いていることもあってそれなりに文章を読むし、書くことが多い。学部の頃は、読んだ本の中に出てきたできるだけ難しい言葉を使おうと躍起になっていた。親しい友人たちは強烈な個を持っていて(我が強いと言うか、意思が強いと言うか、)、自分がそれと比べると普通であることがコンプレックスになっていたと思う。彼らはもちろん建築に限らず賢かったし、今では信用して相談できる数少ない友人である。そんな彼らに負けまいと、とりあえず本を読んだ、彼らの知らないことを知ろうとした。設計課題は、手に入れた新しい知識で武装して、それが重すぎて動けなくなることがほとんどだった。そんなことも彼らには見透かされ、君と建築の話をしていると本に出てきた言葉なのか君の言葉なのかわからないとよく言われたし、学部時代の教授にそんなハリボテは通用しなかった。天井高の理由を聞かれて、気がつけばギリシャとローマの違いで1時間説教されたこともある。そんな圧倒的な知性を持ちながら、こっちの方がええんちゃうと同期の本模型をカッターで切り始めて、かっこ良くなるのだからひどく憧れた。
そもそもこのブログを書き始めたきっかけは、海外に行ったこともあったが、大村さんのブログを読んだことが大きかった。引用する文章の裾野の広さに文章を書くに至るまでの多量の情報処理が垣間見える気がしていたし、もしその引用が分からずとも理解し易い文章として構成されていることに驚いた。極端な話、難しいことを難しいまま文章にすることは、まだ容易であるように感じる。基本的にその場合は読み手側の知識不足であることが多いように思うが。相対して、難しいことを理解し易いように書くことは、それ以上に鍛錬を要する気がする。論文を読んでいても、内容が理解できる自分より、自分に理解できるような文章を書いている筆者に圧倒されることが多い。それは、単に簡単な言葉を使うということではなくて、バランス感覚が優れているとしか今は自分にも説明がつかない。
建築家が書いた文章を色々な媒体で目にするが、しっくりこないことが多い、というかしっくりくる文章を書いていること自体に驚く。『思想』の「重力と歴史」や、小坂森中の武蔵野の戸建に寄せた「湿った幾何学」は、大村さんの体験からくるエッセイのような文章から始まり、建築の物理的な説明に入る。どちらも幾何学が共通のキーワードとして挙げられているが、「重力と歴史」はその雑誌の特質上、かなり学術的な文章であるのに比べて、「湿った幾何学」は、ここまで空間体験を明確に文章化できるのかという驚き(見えている情報の多さ)とギリシア数学の概念をここまで異なった語り方ができるのかという驚きがあった。全体構成の上手さも。また、「重力と歴史」の中で、純粋形態としてイメージされる立方体と重力場における建築形態とのズレは、武蔵野の戸建において、個別的な状況との部分的な必然性によって湿り気を帯びると表現され(正確には少しニュアンスが違うような気もするが、磯崎は内なるもので小坂森中は外??)形式としての幾何学は周囲と衝突し、設計プロセスにおいてその時々で適応しながらそれ自体が変化することによって漸次的に安定状態に向かうとしている。よく設計課題の講評でも、長い真っ直ぐな廊下を作ったとして、太くなったり細くなったりした方がいいんじゃないという指摘を受ける。言いたいことはわかるが何となく疑問符が残る。それに「敷地に対応して」という枕詞がつくと更に分からなくなる。それは恐らく、形式を湿らせる必然性がそこに無かったからだと思う。「形式的すぎるから」という理由では際限のない断片化に抵抗する拠点を崩すきっかけにすらならない。内と外の欲求の衝突によって生じ、対応した平衡が初めて形式のほぐれ・もつれ・ほつれと言えるのではないだろうか。武蔵野の戸建で大村さんは、周囲との衝突をそこに見たということになる。冒頭の境界のプランターや塀に対する言及がそう思わせている。それは何だったのかと、うだうだと考えさせられる。全体として妙に納得してしまう、すっと文書が頭に入ってくる。その文章の書き方、言葉選び、まだまだ良い文章を書けるようになるには鍛錬が、どうすれば良いかを考えることが必要だと思った。建築だからとかは関係なく、良い文章が書ける、話せる人間になりたいと思った。
Little doramas of everydayness

いやはや気が付けば25歳になっていた。去年の誕生日は、アクロポリスを望みながら先輩とワインをあけたりと、人生できっとこの先同じようなことは起こらないし、パルテノン神殿を前にしても涙は流れない。タバコが吸えるとかお酒が飲めるとかわかりやすく大人になるを感じる機会はそうそうない。大人の定義はわからないけれど、自分が子供であることを自覚している人という先輩の定義が割としっくりくる。

メンドリジオから帰ってきて、同期とスイス組の卒業を見送った後、自分の論文やらゼミの調査やら身も入らず過ごしている。パソコンに向かったり、本を読んだり、映画を見たり、たまに車で田舎にでかけたり外では桜が咲いているのに、夏のぬるい夕方の感じがなんとなく延々と身体に流れている。焦りとも違う何かに追われている感じがする。論文の提出に追われているだけかも。


論文を書いていると、自分の頭の悪さに飽き飽きする。どう考えても、参考論文のような文章を書けるとは思えない。教授は、新しい建築のみかた、ものさしを共有することが論文の意味と言っていた。手順を追っていけば、誰しもが同じように建築を見ることができる構造をつくることとも言っていた。これはもちろん人によるだろうし、自分が教授の意図を汲み取れているかも怪しい。でもなんとなく論文の発表とか、既往研究とかを読んでいるうちに少しだけ善し悪しがわかってきたような気がする。それに、自分の論文が何か足りないこともわかってくる。五分間の発表の中でも、目的と背景から始まって、研究方法の概要、それをもとに実例を幾つか、ほかの事例も含めた一般化の絵だの表だの、最後には考察、自分の言葉での位置づけがきれいに構造化されているものはわかりやすいし、何か抜けていれば聞き手に何らかの補完が必要になる。論文のテーマにもよるだろうけれど。最後の考察で、「調査の結果このようになりました」というのは、考察になっていないのは明らかで、そうならないようにしないとと思う。自分で言葉を作って当たり前のことをそれっぽく語ることも違うことはわかる。いくつかの分析の軸があるとして、その軸単体で見れば当然のようなことも軸の組み合わせで新しい論ができるとすれば、その軸があと一つ足りないような気がする。その軸が見つかった時、本研究の位置付けができる気がする。机の上で考えれることは十分考えた気がするし、とりあえず手を動かすことが何よりの近道なのも知っている。
学生最後の年、何をしようか、先輩には建築に限らずたくさんインプットするのが大事と言われました。抱負なんてものもきっとすぐ忘れてしまうだろうし、焦る必要もないと思っている。毎年のごとく、目の前のことをしっかり取り組んで生きていきたいと思います。でもいつでも周りが見れるように、どうぞ良しなに。

深深

メンドリジオのスタジオが終わって、帰国までの数日間でスウェーデンはストックホルムに向かった。
夜にストックホルムに着いたので小雨だったのもあり初日は少しだけ散策して晩御飯を食べて帰った。次の日は朝から見たかった建物を幾つか見る。Asplund,Lewerentz途中下車しながら街中を歩く。気がつけば、日は落ちていて街に灯りが灯る。驚いたのはそのほとんどが暖色の光だったこと。住宅はもちろん、街頭、薬局ですら暖かい灯りを使う。建物の窓からはクリスマスの装飾と人の影が見える。

街の建物は4,5階建が多く、向かい合う建物からワイヤーがかけられ、車道にランプが吊るされる。歩道には、5mm程度の砂利が撒かれていて驚いたことにその上を歩くと滑らない。ストックホルムは元々地盤が硬く、街の中には坂道が多い。この微妙な角度の坂道が凍るととんでもなく滑る。この砂利があるとないとでは大きな違いだった。雪が積もってしまえばほとんど意味がないのだけれども。
住宅はこんなに寒い土地なのに意外と窓が大きい。中心部には中世の建物も残っているが住宅のほとんどがシンメトリー、もしくはそれに近い立面で中央部に入口、その奥に階段室があり螺旋階段や曲線の使われている階段が多い。立面は基本的に低層、基本階、上層の三段構成で一階部分は基本的に階高が基本階より高い。Sergisonのミラノの立面の解説を思い出したり、ヴェネツィアとは低層のつくりが逆だとか思ったりした。街中にある現代建築もこの型を踏襲しているものが多い。これがグリッドに沿って並んでいるのでまぁ綺麗。

3日目には森の墓地に向かう。


冬に行って良かった。これに尽きる。0度を下回る外気と肌を刺す風、積もった雪、そして針葉樹の森。これぞ北欧。テンションが上がって寒さを忘れる。むしろ心地良くなる。-10度はもうしばらく感じれまいと、手袋と帽子を外して歩き回った。寒かった。
その日は夜まで雪が降り、車や人の通りが減る。自分の足が雪を踏む音だけが残る。それでも街は明るくて、寂しいような暖かいような美しい街だった。スウェーデンは夏にも冬にもまた行きたい。ストックホルムいい街でした。

住処は山と水辺に近くあるべし

スイス鉄道の駅は、湖から山までの距離がある場合、丘の中腹に建てられることが多い。線路を挟んで湖側と山岳側に分けられる。ティチーノのほうへ行くとアルプスの急勾配により駅は次第に湖に近づいてくる。
Neuchâtel(ヌーシャテル)はスイス西部ヌーシャテル州の州都であり、スイス最大規模のヌーシャテル湖の北端に位置する。公用語がフランス語の地域でケルト文明の拠点として世界遺産にも登録されている。ワインの産地としても有名である。鉄道の駅を挟んで10世紀末に建造された城跡の下に街が造られた。

街が線路によって湖側と山岳側に分けられている街はもれなく良い。ヌーシャテルは、山→城→駅→街→湖のような断面になっている。大きすぎず小さすぎず、でも歩いていると街の造られ方を把握できる街のサイズだった。単に面積としてではなく、ある種マインドマップのような街としての大きさ?広がりがちょうど良い。これはチューリッヒや京都にも感じる。街の行政で区切られた線的な境界といわゆるご近所さん的な明確な区切りはないものの存在する面的な境界。界隈と言われるやつ。どちらかというと後者の感覚に近い大きさだと思う。けれど、面的な境界といえどそれを補助する線は存在していてそれが山や川、湖、線路、回覧板を回す地域だったりする。私は特に住んでいる場所を中心として山に囲まれていること、水辺までの距離が近いこと、その二つの間が近すぎないことを満たすと良い街だと感じることが多い。欲を言えば地下鉄がないこと、place to placeになることもさることながらヨーロッパにおいては治安が急激に悪くなる印象がある。
ヌーシャテルの街は傾斜に沿って街が広がっているがその高低差が街を複雑に形成している。一方でどこにいても湖が見えることは道は複雑でも大きく自分がどこにいるか把握することができる。地図を見ずに歩くことができる街だった。ロンドンやパリはそれができない、自分にとってはこれがかなりストレスになると気づいた。


ヌーシャテルの建物は特有の黄色い石を用いた中世の面影を色濃く残している。3-4階建ての建物や邸宅などが建ち並び道にはレストランやバーのテーブルが出されたり、水路や樹木などが街を豊かにしている。そこに広げられた家具も壁際で窮屈にではなく自由に道を使っていた。



広い道や狭い道、階段や広場、どれだけ街が複雑であろうとその自由さを支える大きな構造が人に安心感を与える。それは山や川、碁盤の目の街区かもしれない、一見厳格に見えてもそれが存在し続けることが重要で存在し続けることさえできればその大きな構造の中でどれだけ変化しようと変化をおおらかに受け入れることができるんじゃないだろうか。良い街だった、また行きたい。
傘

ちょうど降り出した雨を凌ぐ傘のように、そんな素晴らしいタイミングでから傘の家を訪れた。家に上がってまず思ったことは、寒い。家に上がったのに寒いというのは、とても日本的だと思った。冬、帰宅と同時に、寒い寒いと手を擦りながら石油ストーブのスイッチを押す。4分から5分後、ジーーッボゥッという音と共に暖かい風が吹いてくる。空になったタンクに石油を誰が入れに行くのか押し付けあったのを覚えている。大抵は母が行くのだけれど。
外の世界とは障子で隔てられ、光だけが室内に降り注ぐ。壁や床は綺麗に磨かれているものの、当時の生活を、これまでの時間の流れを受け入れ、傷や生活の跡は残されていた。
じっくりと部屋を見ていると、急に部屋が明るくなる。確認せずともわかるくらいに、きっと外は雨が止んで太陽が出てきたんだろう。窓枠から落ちる光が障子によって拡散される。部屋がぐっと広くなった気がした。
大きな幾何学的なかたちをもった傘は、窓からはいる光を溢れかえらないように蓋をしているようだった。
広間からはかさがほとんど視野の中に入ることや傘の骨にあたる梁と壁の関係や、寝室から広間に突き出した鴨居を梁と繋ぐボルトは屋根が傘のように軽やかなイメージを植え付ける。

古い民家がもつ<土間>の意味をこの広間の空間にあたえようというのはテーマのひとつでもあった。…私はこのもっとも原則的な平面構成を意識しながら、少量だが明確な光とふかぶかと濃いかげの組立てる空間、それは古い民家の土間にあったもの、をつくってみたいと考えた。
(篠原一男「から傘の家」『新建築』1962年10月号)
人間の所作に付随して空間に意味が与えられるような、その段差1段が、その扉の開け方が、空間を規定する。空間の意味とはなんぞやと思いながらも深く頷ける、建築のというより空間の意味みたいなこともしっかりと考えないといけない。
これほどまでに力強く、優しいとは思いもしなかった。異国の地で日本の小さな建築が海外の大きな建築に囲まれて凛々しく建つ姿は誇らしく、それを実現させた人たちの気概や熱を本人の口から聞きながら訪れることができて本当に良かった。今までで1番贅沢な雨宿りだった。

から傘の家,Vitra Campus_篠原一男(1961)
Reconstructed_DEHLI GROLIMUND(2022)
なんとなく良いを語る#04
Vororscäuser,Zürich_Sergison Bates architects

並んだ2棟の集合住宅は丘裾に位置し、北側に大きな戸建て住宅が並び南側にも丘が見える。ちょうど丘と丘の谷がSeebachの駅になっている。南側には建物を遮るものは何もなく、丘の高低差を活かした計画になっている。南側のコーナーは大きなインナーバルコニーが設けられている。(Sergisonのテキストにはロッジアと記述されている)

ソファーやテーブルを並べて置ける程度には広いロッジアは、各住戸によって見えてくる生活の様子が異なって見ていて楽しい。前回の集合住宅とも共通するインナーバルコニーはその多くがサンシェードを備えていて、住人が外部との隔離を強調あるいは緩和することができる。あくまで内部の拡張というイメージが強い。加えて、前回と似たような平面計画は表面積を増やすことによって外部との関係を各住戸がそれぞれ持つことを可能にしている。この多角形平面は、EMIの集合住宅然り、Zürichではよく見かける。州が出版している集合住宅の平面図を取り上げた本(設計資料集的な本)では2010年以降から多角形の平面が頻繁に見られるようになっていて、Zürichではもう一般的なのか?
Sergisonらしい縦長の窓はレンガの壁をパカッと割ったように造られ、その間に挟まったプレキャストの窓台が特徴的だった。窓は外壁面からオフセットされ内壁に沿って設られている。これによって外部との距離をしっかりと感じるようになっている。懐が深いことによって暗くなる窓にはゴールドのサッシが使われ、手すりもゴールドで仕上げられていることでファサードを構成する開口部としてしっかり強調されている。

ファサードの操作はその他にも、0F部分の外壁のレンガは一列ごとに1センチ出っ張ることで同じ素材を使っているのにも関わらず、斜めから見るとその部分だけが濃く見える。

この0Fの壁面の色が濃く見えることや入り口のプレキャストの柱、軒はファサードの重心を地面に近づけ、感覚的に安定したモノリシックなイメージを与える。シェルターとしての安心感がある。この入り口の柱が良かった。これもまた少しだけ出っ張っていて軒とは同質でないこと、関係として存在していることを強調するディテール。日本人ならというか自分なら細くしていた気がする。この大地との接続の考え方は如何にもヨーロッパという感じ。この柱はカッコいい。

これは重心だけに限った話ではなく、Märkliの学校を訪れた時にも感じたモノとモノの関係性、アニメティがオブジェクトとしてコラージュされているように窓、手すり、窓台、雨樋そして地面によるファサードという平面においてのコンポジションが見ていて気持ちがいい。写真によって切り取られた平面のモノの関係性が絶妙でこの辺りのセンスが段違いに良いと感じた。

ロッジアが全体の計画として重要なことは理解しつつも、開口部と異なってオフセットされたプレキャストのスラブや強調された角の通し柱、平面的に一つの室としてその他と等価であることによって支配的になっていないことが良かった。良い場所を造りながら、それが細やかでただそこにあるという気持ちよさが良い。設計者のいやらしさを感じない自由な場所、という感じ。

良かった‼︎