なんとなく良いを語る#02

Barbican Estate_Chamberlin,Powell and Bon

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前回に引き続き旅行記編。

この旅行のベスト建築はこれでしょう。夕方に訪れたけれど、暗かったのと夜でもかなり良かったので予定を変更して次の日も訪れた。ロンドンのブルータリズムは前回のThe economistも含めて4つほど観た。スミッソン夫妻は自身の興味と関連していたので分析というか、冷静に観た感じだった。一方でこの建築は純粋に楽しかった。ロンドンのCityという街は金融系の会社のビルが多く近くには、Lloyd's of London_Richard RogersやBroadgate-Exchange London_SOM、個人的に観れて嬉しかったSt. Paul's Churchyard_James Stirlingなどのロンドンの現代有名建築が立ち並ぶ。その中でも広大な敷地面積と圧倒的な存在感、そしてどこまでも丁寧な仕事で今も尚愛されて続けていることがわかるBarbican Estate。粗野で荒々しく力強い構造、強調されたスラブを突き抜けるアーチの最上階、その中でも一際高いビルは特徴的なバルコニーを有し、Barbican内の目印になっている。f:id:shotaronigiri:20230117042510j:image加えて隅々まで行き届いたディテールの設計。職人が全て手で仕上げたコンクリート面や木製の窓枠、手摺り、ライティングなど一体どれだけの労力をかけたのか想像するだけで恐ろしくなった。f:id:shotaronigiri:20230117040129j:imageBarbican Estateの中のBarbican Centre内にはコンサートホール、映画館、図書館、植物園、食堂、カフェ、ショップ、ギャラリーが集まり、多くの人々がそれぞれの時間を過ごしていた。f:id:shotaronigiri:20230117040150j:imagef:id:shotaronigiri:20230117041852j:imageそれぞれの機能がスペースを占有しながら共有している部分があったり、それぞれの機能に必要な気積や設備が一つの建物に集約されて起こる機能間でのズレが巨大な空間を分割し、そのズレから覗き込む人の様子が空間がひとつであることを認識させた。f:id:shotaronigiri:20230117040552j:image
f:id:shotaronigiri:20230117040555j:image卒業設計の前に訪れたかったと思った。複合的な建築としてこういうことがやりたかったのかなと感じたりもした。立地の関係も勿論あるが、他のブルータリズムの住宅はその巨大や粗野な素材のせいもあって少し寂れた雰囲気だった。Barbicanはとにかく若い人が多いと感じた。映画館や図書館などの機能があることに加えて、サイン計画やロゴ、タイポグラフィ、グッズに至るまでかなり良い。トートバック買ってしまったくらい良い。f:id:shotaronigiri:20230117041224j:image

ここまで訪問者にウケが良いと居住者にとってはどうなんだと感じるが、諸々の施設が一つに集約されていることや住民しか入れないプライベートガーデンがあるなど、大きさを活かした計画が施されていた。全体計画は歩車分離や人工池などヴェネツィアを参照して造られたらしい。

f:id:shotaronigiri:20230117041416j:image(プライベートガーデン。この階段に行きたかった)

気がついたら1日居てしまいそうな居心地の良い建築だった。ここまで大きくないとこれ程のことは出来ないのかと感じたりした。ロンドンフィルハーモニーのホームホール?らしいので次回は、コンサートにも行ってみたい。

 

 

なんとなく良いを語る#01

大学4年間ですっかり遊び方を忘れてしまった気がする。どこからどこまでが遊びでそうじゃないかの区別もつかなくなってしまった。旅には建築が伴うし、建築のために旅をする。建築を学び始めてからおおよそほとんどの人間が街や建物をみる解像度が上がる。街を歩くだけで楽しめるようになった。一方で普通に遊べなくなってしまった寂しさも同時に覚える。「たくさんの建築に訪れなさい」という呪いのせいで誰と何処へ行こうと少しでも建築を見れば学びになってしまう。友人との旅行が建築旅行と題されてしまうことに嫌気が差す。セーブデータを消しても初見プレイに戻れないRPGみたいに、どこへ行こうと呪いは付き纏う。まあ、呪われた旅行も嫌いじゃない。

そんな中訪れた建築でいつも感じるのは「なんとなく良い」これがこうでこれがこうだから良いと瞬時に解決してしまったら思い出すことは少ない。なんとなく良いの方がパワーがある。でもそのなんとなくを整理しないといけないというのも耳が痛くなるほど聞いた。

という訳で、旅で訪れたなんとなく良いをつらつらと書いていこうと思う。こういう時は必ずペンを動かしなさいということで、まずはノートに鉛筆で書くことがマイルール。

 

The economist building_Alison&Peter Smithson

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Alison&Peter Smithsonによって1960年代初頭に計画されたThe economist 。現在はSmithson towerとして知られるこのビルは、伝統的な八角形平面で構成されている。その3つのボリュームの配置と平面は広場の求心性や方向性などの拘束から解放し自由度の高い広場になっている。建築自体も一階の壁面が1m程度セットバックされていたり、外周の柱を覆うポーランドストーンが接地していなかったりと拘束を嫌う様相が端々に見られた。f:id:shotaronigiri:20230112044748j:image
f:id:shotaronigiri:20230112044751j:image渡航前に聴講した岸和郎×米田明の講演会でのMies のLake shoreやFederal centerがボリュームの配置によるヴォイド空間の設計ではないかという考察や建築の拘束を嫌い、運動性を求めていたことなどの内容とリンクしたのもあり印象的だった。

3方向が道路に接しており、緩やかな傾斜地に計画されたこの建物は道路と2m程度のレベル差がありオープンスペースにしては高い位置にありながらも3方向への抜けが広場への距離を近づけているような気がした。f:id:shotaronigiri:20230112045543j:image

道路からのビルの見え方や、段差があることによる広場への期待感、広場の形、それに対して建つそれぞれの建物の一階部分の設えが相まって居心地が良かった。ちょっと彫刻が大きすぎる。

 

雪国にて没

小さい頃、寝る前に両親の死や自分が死んだあとはどうなるかを考えすぎて眠れなくなったことがよくあった。

私たちの旅も佳境を迎え、アイスランドに到着した。

旅行記は全ての日程が終わってから綴ろうと思っていたが、今の気持ちを新鮮なまま文書に残したくてこの文を書いている。

私たちは、アイスランド3日目に北西にあるフィヨルドを見るために車を走らせた。アイスランドは西ヨーロッパで最も交通が発達していない国で少し田舎になると道路は舗装されず街灯は一つもなく、頼れるのは車のライトと道路脇の反射板だけである。加えて、冬場は日の出から日の入りまで4時間と1日のほとんどが夜である。しかし、その僅かな時間の中で見せるアイスランドの自然の表情は美しく、雄大で、人の存在をちっぽけに感じさせる。義務教育を受けてきた人であれば一度は聞いたことのあるフィヨルド。それは、想像よりも遥かに大きく、荒々しく、危険で、美しかった。

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フィヨルドを見終え、日没が迫る中帰路に着いた。北西部はフィヨルドの影響でアイスランドの中でも天気が変わりやすく、険しい道が延々と続いている。そんな中、山道ではホワイトアウトに合い、滞在先まであと80kmの地点で車が雪にスタックして一切動かなくなってしまった。携帯の電波も繋がらず、雪と風が吹き荒れる中車を押せども押せども動くことはなかった。私は、手遅れになる前に車に搭載されたSOSボタンを押して救援を要請するべきだと考え連絡を試みた。恐らく警察に電話が繋がり車の情報や天候を伝えていると向こう側から車が近づいてくるのが見えた。車は私たちの近くで止まり、スタックして動かないことを伝えると5分待てと言って立ち去った。すぐに彼は大きな除雪車に乗って私たちの前に現れた。車の後ろに器具をつけロープで繋ぎ、雪から引き摺り出した。彼はナイスウェザーと言いながら私たちの帰路の安全を願ってくれた。着いてきて欲しかった。

結局無事に宿に帰れた訳だが、スタックした時の絶望感と人生で初めて死を感じたことはきっと忘れないだろう。

あの時車が通っていなければ、車にSOSが無ければ死んでいたかも知れない。美しい自然は時に人間に牙を剥き私たちが無力であることを思い知らせる。何より無事で良かった、生きて帰れて良かった。2度と冬のアイスランドには来たくないです。

 

雑煮は白味噌と焼き餅

我が家には元旦の8:00にダイニングに集合するというルールがある。必ずお正月の初めのおせちとお雑煮を家族揃って食べないといけない。12月30日は家の大掃除、31日は母のおせちを手伝うことも毎年の決まりである。昼間から家中におせちの匂いが漂う。

小さい頃はおせちが苦手で31日が一年の中でも嫌いな日の一つだった私に母がおせちに唐揚げを入れてくれるようになって未だに我が家のおせちには唐揚げが入っている。おせちを美味しく感じるようになった頃からお正月が好きになった気がする。ちょうど初めて小さい頃から毎年行く宿で朝食の後コーヒーが出てきた時のように少し大人になったような気がした。

元旦のお昼はだいたいおせちと野菜山盛りの袋麺ラーメンを食べて、夜はカニ鍋を格付け番組を観ながら食べる。私はあの番組が苦手で、何も「安くても美味しいものは美味しい!」みたいな考えではなくて、番組中に何度も緊張して安心してを繰り返しかなり疲れる。どうやら人の緊張を観るのが苦手で、未だに大学に入学した頃新入学部生の前で学生フォーミュラの宣伝を震えた声でしたお姉さんの顔を思い出したり、中学生の頃歌のテストで泣き始めた子のことを思い出すくらい他人の緊張が苦手である。そんな苦手な番組も去年は卒業制作で今年は海外で見られない訳だが、今年も元旦の朝食の机には私のお箸が用意されているらしく最近死んだみたいになるから是非辞めてほしい。

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このお箸は毎年父親が筆で家族全員の名前を書いて用意する。元旦の朝食のルールやこのお箸をみると世代を感じるけれど、年賀状を今でも送りたいと思うあたり血は争えないし面倒な文化をきっちりできる家庭に生まれて良かったと思う。海外にきてからそういったジャパニーズカルチャーの素晴らしさをより感じるようになったし、何も自分の国のことを知らないことに気付かされた。兎にも角にも来年の元旦の8時には家に居たいものです。


改めてあけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願い致します。

本厄の年男でした。

ゆく年くる年

自分よりも多く元日に年賀状が来る姉たちを羨んでいたのも随分昔の話で最近は昔よりも年賀状の枚数が減った。簡単に電波に気持ちを乗せることのできる世の中で年の節目に筆を取って誰かに文章を書くという文化が廃れてしまうことに寂しさを感じる。デザインなんてものは二の次でそこにその人の文字が言葉が綴られている、その当人の煩わしさと懐かしむ気持ちが感じられればそれで十分である。煩わしくも愛おしい年賀状は如何にも日本人好みの文化であると思う。来年は書こう。

 

今年が卒業制作の提出から始まったことに驚く。

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提出、展示を終えて卒業、入学して新しい研究室に配属、友は上京し、恋人は社会人になった。歳を重ねるにつれて1年の節目なんてものは薄れるのかもしれないが年末年始の特番、初詣、食事が一年を締めてまた新しい一年の始まりを感じさせてくれる。去年は友人と京都で初めて年を越し、今年はロンドンで年を越す。三山ひろしのけん玉世界記録更新チャレンジを観ずに一年が締まるのだろうか。私たちの冬休み旅行も1/3が終わり、ロンドン編へと突入した訳だが、初めの目的地パリでは美しい街並みと食事に酔いしれ優雅な時間を過ごした。

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パリのクリスマスは思っていたよりも静かで店はどこもかしこも閉まっていて、人の出も少なかった。地域の教会に人が1番集まっていた。一ヶ月前からクリスマスマーケットを盛大に開いて当日は家族で過ごすのがヨーロッパ流らしい。24日前後はサンタクロースの帽子や赤と緑のニットを身に着けて街を歩く人が多い。日本人はクリスマスをどうやって過ごすのか聞かれることがあり、家族で過ごしたり恋人と過ごしたり色々、KFCには列ができると言うとfunny と言われた。スイス人もチーズフォンデュしか料理を知らないのでお互い様である。むしろ日本の方が優位だと思う。日本のクリスマスもヨーロッパくらいに落ち着いて欲しいと思ったりした。スイスの年末年始を体験できないのは少し惜しい気もするけれど、パリロンドンの年末年始も貴重な機会だと思う。来年の年末に去年の年越しはビックベンやったな〜というのが今から楽しみだ。でも結局年末年始は日本が1番です。

それでは、今年もお世話になりました。良いお年を。またけん玉の結果教えて下さい。

 

仕事納め

あっと言う間に2ヶ月が過ぎ、本日をもって2022年の業務を終えた。今日は仕事といってもみんなでtatarという肉料理を食べてワインを飲んで、卓球大会をした。みんなの休みの予定を聞いたり、国でのクリスマスの過ごし方などの話に花を咲かせた。

帰り際には、クリスマスと新年を祝い別れた。男性とはグータッチや握手を交わし、女性とはハグをして見送る。ハグ待ちの列ができたり、日本にはない文化で面白かった。

 

10月からスイスに来てほとんど毎週どこかへ旅行に行き、多くの街を訪れた。もうチューリッヒに着くと「帰ってきた」と思っている自分に驚いた。

街として1番印象に残っているのは Bern。

旧市街が世界遺産に登録されていたり、この街に来た時が1番ヨーロッパに来たことを実感した。駅から出たときの感動は忘れられない。地面に入り口があるケラーやポルティコを有する街並みはとても美しかった。

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建築でいうと、Peter ZumthorのRoman shelterやBregenz Museum、そしてアトリエ。それらの建築はどの場所においても普遍的に享受できる環境に対して真摯に向き合うとこんな空間ができるのかと実感できるものだった。それを建てる以前にどこまで分かって、どのように検討しているのか謎は深まるばかりだったが体験できて良かったと素直に思う。本人と喋れたのも良い思い出だ。写真くらい撮っておけば良かった。

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それ以外にも、Peter Märkli の School and Sports complex in the Birch 、Enzmann Fischer の Zollhausはどちらもチューリッヒの建物で個人的に好みの建築だった。その建築自体の配置計画や、道に対しての建ち方、ファサードや内部空間、丁寧で緻密な細部、素直に建てられた良い建築だった。Zumthorのような感動的な空間を生み出す建築ではないが、人の影が見え営みを支える大きな建築であった。

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明日からは、一旦スイスをでてフランス、イギリス、アイスランドへ2週間の旅にでる。無事に帰って来れることを祈るばかり。

次は今年一年を振り返ろうと思う。

 

 

諸行無常

他の業種のインターンと違って建築のインターンは、どちらかというと経験や知識、学びを得るために行くことが多い。少なくとも私は日本でそのような事務所の選び方をしてきたつもりである。だからこそ、蓋を開けてみれば完全に無賃金労働者の確保の為に働かされる、搾取されることもある。ただ事務所側としても難しく、2週間やそこらの期間で質もわからない学生に任せる仕事は限られてくる訳である。しかし、それは雇う側の問題で雇ったからには最低限得られるものを担保しなけらばならないと思う。

建築事務所の修業だの経験を得るためだのの綺麗事は、政府が保育士や看護師を増やすためにやりがいをアピールするようなもので、当事者達から総スカンを喰らう。

 

 


現在の事務所では、模型制作や3D作成が主でプロジェクトに大きく関わるわけではない。海外からのインターンなんぞそんなものかも知れないが、こちとら時間や大金を賭けて海を越えてきたからには手ぶらで帰るわけにはいかない。

雑務が嫌な訳ではなく、様々なプロジェクトの便利屋になってしまっている。上から指示が来てその指示通りにつくり、提出。ミーティングには出られず解像度の低いミーティングの情報で変更点だけを伝えられる。決定に至るまでの過程が可視化されない。それがいくつかのプロジェクトで起こると自分の作業が単発で終わり、続いている感覚がなくなってくる。それに加えてみんなめちゃくちゃ良い人なので、自分が模型を造るたびに"super","cool"で終わる。

竹中のバイトか?これでは、自分が4年間で培ったものをスイス人に披露しているだけである。

留学と違って、確定で学びを得られる訳ではないインターンでどのような経験を積み、どのような技術を身につけ、学ぶことができるかは自分次第かも知れない。その都度に動いて、我儘を通す必要があると感じる今日。もうお客さんじゃないんだからって客が言うことある?