なんとなく良いを語る#01

大学4年間ですっかり遊び方を忘れてしまった気がする。どこからどこまでが遊びでそうじゃないかの区別もつかなくなってしまった。旅には建築が伴うし、建築のために旅をする。建築を学び始めてからおおよそほとんどの人間が街や建物をみる解像度が上がる。街を歩くだけで楽しめるようになった。一方で普通に遊べなくなってしまった寂しさも同時に覚える。「たくさんの建築に訪れなさい」という呪いのせいで誰と何処へ行こうと少しでも建築を見れば学びになってしまう。友人との旅行が建築旅行と題されてしまうことに嫌気が差す。セーブデータを消しても初見プレイに戻れないRPGみたいに、どこへ行こうと呪いは付き纏う。まあ、呪われた旅行も嫌いじゃない。

そんな中訪れた建築でいつも感じるのは「なんとなく良い」これがこうでこれがこうだから良いと瞬時に解決してしまったら思い出すことは少ない。なんとなく良いの方がパワーがある。でもそのなんとなくを整理しないといけないというのも耳が痛くなるほど聞いた。

という訳で、旅で訪れたなんとなく良いをつらつらと書いていこうと思う。こういう時は必ずペンを動かしなさいということで、まずはノートに鉛筆で書くことがマイルール。

 

The economist building_Alison&Peter Smithson

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Alison&Peter Smithsonによって1960年代初頭に計画されたThe economist 。現在はSmithson towerとして知られるこのビルは、伝統的な八角形平面で構成されている。その3つのボリュームの配置と平面は広場の求心性や方向性などの拘束から解放し自由度の高い広場になっている。建築自体も一階の壁面が1m程度セットバックされていたり、外周の柱を覆うポーランドストーンが接地していなかったりと拘束を嫌う様相が端々に見られた。f:id:shotaronigiri:20230112044748j:image
f:id:shotaronigiri:20230112044751j:image渡航前に聴講した岸和郎×米田明の講演会でのMies のLake shoreやFederal centerがボリュームの配置によるヴォイド空間の設計ではないかという考察や建築の拘束を嫌い、運動性を求めていたことなどの内容とリンクしたのもあり印象的だった。

3方向が道路に接しており、緩やかな傾斜地に計画されたこの建物は道路と2m程度のレベル差がありオープンスペースにしては高い位置にありながらも3方向への抜けが広場への距離を近づけているような気がした。f:id:shotaronigiri:20230112045543j:image

道路からのビルの見え方や、段差があることによる広場への期待感、広場の形、それに対して建つそれぞれの建物の一階部分の設えが相まって居心地が良かった。ちょっと彫刻が大きすぎる。