ナポリタンの迫害

少しずつ日が長くなっているように感じる。日本にいると気がついたらという感じだったけど、これだけ冬の日が短いと嫌でも感じるようになる。

スイスに来てからというものお昼は前日の夜に作ったものをお弁当にして持っていくというのが当たり前になった。いつでもどんな時でも大きな声でいただきますを言い続けた甲斐があり、事務所の食事の挨拶はGueteからいただきますに統一された。

ある日の午後、いつものように食事をしているとドイツ人が私にソーセージをパスタにいれるのはジャパニーズスタイルなのかと聞いてきた。その日の私の昼食はナポリタン。味付けはケチャップであることを伝えると露骨に嫌そうな顔をする。酢飯にアボカドを乗せたものを寿司と呼んでいる民族には理解できないらしい。ナポリタンの発祥は横浜のホテルニューグランドで今でも看板メニューらしいが、実はケチャップは使ってなかったとかああだこうだ。スイス人は日本食なのにナポリということに笑っていた。日本の喫茶店で食べるナポリタンの美味しさを知らない彼らが気の毒だった。ウッディタウンとインペリアルが恋しい。

そもそもパスタを食べたいと日本で感じたことがなく、恐らく人生で最も2人で食事をしている恋人ともパスタを食べた記憶がない。よくスイスで生活できているなと思った。そんな私が週末に訪れたコモ(イタリア)で食べたパスタに感動した。f:id:shotaronigiri:20230123063443j:image注文したのはエビのトマトクリームパスタとプロシュートのピザ。これがヨーロッパに来てからダントツで美味しい。パリで食べたフレンチを優に越してきた。f:id:shotaronigiri:20230123063200j:image麺が美味しい、今まで食べたパスタと全く違った。加えてドリンク込みで2人で40€と破格。この店に行くためにまたコモに行かなくては。

街は城壁が現在も残っていて旧市街はとても美しい街並みだった。教会の前の広場が印象的で樹木がないことと、ペーブメントが施されていることが新鮮だった。ヨーロッパの広場にみる良さはその辺りにありそうな気がした。日本ほど広場が嫌らしくないというか、自由に感じることが多い。形の作り方なのか、広場を造る建物の機能なのか、はたまた設えの問題なのか、使い方なのか。f:id:shotaronigiri:20230123071717j:image

建築はThe Casa del Fascio、Asilo Sant'Elia等々Giuseppe Terragni建築が満載。

Sant'Eliaは内部がとても魅力的だった。幾重にも重なる窓と庭の関係、フレームと壁面のズレが内部と外部の境界を錯覚させる、万華鏡の中にいるみたくコーリン・ロウのいうリテラルな透明性を持った建築だった。塀の外から見ててこれだけ感じるのはすごかったと後々思った。

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Casa del Fascioは、ファサードの孔と木サッシ、手すりのレイヤーやそれぞれのマテリアルの違い、柱と少しズレた雨樋、背面の階段室のガラスボックスの出っ張りは逆にフェノメナルな透明性を持った建築だった。現代理論序説で訳の分からなかったことがちょっと感じれた気がする。f:id:shotaronigiri:20230123073352j:image
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この2つの建築を1日で観たのはかなり意味があったのではないかと思った。学部の研究室を思い出した旅でした。